図書館本とかいろいろ

ソフィーの世界―哲学者からの不思議な手紙

ソフィーの世界―哲学者からの不思議な手紙

読書中。いまさらながら、初読です。どんな本か全然知らなかったから、なんとなく手に取らなかったけれど、どうやら哲学の話らしいというのを知って読むことにしました。いろいろ考える時に、考え方(方法)が違うといつも同じ場所に帰ってくるような気がしてならない。最近気がついた。だから、よくわからんけど、もしかして哲学とか考えるのが仕事の人たちは、考え方に一定のルールがあるのかも。言葉も、決まり事作らんと、パラドックスが出来上がる気がするし、そんなことになったら永遠にループから抜け出せない。さらに、言葉を疑ったら、脳みその中身はどうなるんだろ。言葉があるから、思考があるのだとすれば、言葉が嘘だったら、思考も嘘になる。言葉で考える以外のこと、できるのかわからんけど、できるのかな‥。はなしずれた。そんなわけで、ときどき考えてることがぐちゃぐちゃになることがあるけれど、それは、どこか考え方のルールからはずれてしまったからなのかもしらんと、思いました。


今日ね帰り道畑で猫がうんちしてたのさ。ほほえましく、しかし、さりげなく猫みてたら、なんか猫警戒してるのね。私のこと警戒してるのかなと思ったけど、私とは違う方観てる。ふと猫の視線を追うとね、背広を着た、おそらく仕事帰りの男があるってて、すれちがったのだけど、その男のことずっとみてる。ま、そのまま猫通り過ぎてあるって、振り返ってみたら、その男、猫の側通り過ぎるとき、道路を足でバンっと踏み鳴らして、猫を脅かしてるんよ。威嚇してんのよ。そして突き当たりのアパートへ入ってった。畑の持ち主なんかねぇ。でもその畑でいつも畑仕事しとる人はおじいさんだし、その人背広着てるし、きっと猫がそこでうんちしてることが許せなかっただけかな〜。猫は自分のうんちに土かけてた。猫とか犬とか鳥とか虫とか蛇とかトカゲとか、いったいどこで暮らせば良いのだろう。いつから土地は人のものになったんだろう。お金払って土地を所有しているのは、人間同士のみで有効だと思うのだけど。

しりとりにまけないことば

図書館でとある事典をぱらぱらめくっていたら、「ンデベレ・ンジャブロ」というアフリカの作家がいることを知った。1983年の『愚者たち』などの作品があるらしい。私は思わずこの名前を、いつも自分が持ち歩いている黒いカバーを付けたノートに書き留めた。彼がいれば、しりとりに負けない。

図書館で借りた本

テロ・マネー アルカイダの資金ネットワークを追って

テロ・マネー アルカイダの資金ネットワークを追って

賞賛語(ほめことば)・罵倒語(けなしことば)辞典 (実用辞典シリーズ)

賞賛語(ほめことば)・罵倒語(けなしことば)辞典 (実用辞典シリーズ)

出版社 / 著者からの内容紹介
人をほめる言葉・けなす言葉を対象別に紹介
人をほめることば、けなすことばを「サラリーマン」「医者」「妻」「夫」といった対象別に紹介。各語に添えた文学作品や国会議事録などの実例から、ことばの達人たちの「ほめる・けなす」のテクニックを盗むことができます。本書を読めば、(1)「ものは言いよう」を実践することによって、顧客、上司、同僚とのコミュニケーションが円滑になる。(2)文飾の技術が発達し、レポート、論文などで、実力以上の成績をおさめることができる。(3)的確なことばで感情を吐き出すことによって、ストレスを取り除くことができる。(4)家族、恋人、友人をどのようにほめるべきかがわかり、私生活のトラブルを予防することができる。まさに至れり尽くせりの頼りになる1冊です。

内容(「MARC」データベースより)
ギュスタヴ・ドレが23歳のとき描いたコミックス、サイレント映画のような漫画を描いたベイトマン、トミ・ウンゲラーの残酷な世界など、J・J氏の語るコミックスの愉快な世界。78年刊の新装版。

新潮日本文学 3 夏目漱石集

「自分の木」の下で (朝日文庫)

「自分の木」の下で (朝日文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
なぜ子供は学校に行かなくてはいけない?子供たちの素朴な疑問に、ノーベル賞作家はやさしく、深く、思い出もこめて答える。16のメッセージと32点のカラーイラストが美しくひびきあい、心にとどまる感動のエッセイ。「子供も『難しい言葉』を自分のものにする」を新たに加えた待望の文庫版登場。

子どもたちは夜と遊ぶ

子どもたちは夜と遊ぶ(上)

子どもたちは夜と遊ぶ(上)

内容(「BOOK」データベースより)
優しく触れようとしても壊してしまう、大人になりきれない子どもたちは、暗い恋の闇路へと迷い込んでしまった…。同じ大学に通う仲間、浅葱と狐塚、月子と恭司。彼らを取り巻く一方通行の片想いの歯車は、思わぬ連続殺人事件と絡まり、悲しくも残酷な方向へと狂い始める。掛け違えた恋のボタンと、絶望の淵に蹲る殺人鬼の影には、どんな結末が待っているのか。

前作の「冷たい校舎の時はとまる」と今作しか読んでいないが、辻村氏の作品には辻村氏特有の強烈な雰囲気を感じる。文章ではないと思う。なんだろう、どこだろう。にじみ出る心の闇かな。それとも影のある優しさかな。それとも心に抱えたまま吐き出すことができない重たい思いかな。登場人物一人一人が大切に描かれているこの物語は、なぜか切なく、優しい雰囲気で包まれている。

前作も最高だったけれど、今作もすばらしかった!でも重かった〜‥。徹夜して読み通したあげく、重たい雰囲気をもろに貰ってしまって、切ない空気から一日中抜け出せなかった。単純にミステリとカテゴライズされるにはもったいない物語だ。

私より2歳年下、1980年生まれの著者が文中引き合いに出す絵本や映画作品には、なじみ深いものが多かった。作中レッドドラゴンの話が出てくるが、本当に切ない。ちょっとしたタイミングの差で、救われるはずの人間がどん底へ突き落とされる。いつからボタンを掛け違えていたのか考えると、切なさは増すばかり。最初に分かっていれば、手を下さなければ、生まれなければ‥。生きる為には考えてはいけない。忘れなければならなかったのだろう。

魔王

魔王

魔王

出版社 / 著者からの内容紹介
「小説の力」を証明する興奮と感動の新文学
不思議な力を身につけた男が大衆を扇動する政治家と対決する「魔王」と、静謐な感動をよぶ「呼吸」。別々の作品ながら対をなし、新しい文学世界を創造した傑作!

ついつい現実の世界と照らし合わせてみたくなるけれど、私は、この小説に政治的メッセージを感じることはなかった。いとも簡単に煽動されてしまう集団の恐ろしさ‥が一番強烈に印象に残った。私はこの恐怖を一番最初に感じたのはフランケンシュタインという映画を見に行ったときだった。当時何歳だったかも忘れたけど‥無実の罪を訴える声は、群集の声に消され、女性が処刑されたシーン。今でも忘れられない。「そんなこと、現代ではないよ」なんて、とてもじゃないけど思えなかった。もしも自分が、群衆側にいるときには、絶対に、絶対に、その偏りに気がつかないと思うから。

それから、ファシズムを支持する者と、ファシズムを恐れる主人公、両者に違いがあるのかということ。ファシズムを恐れ、自分の能力を利用して魔王を阻止しようとする主人公は、結局立場は違えど同じなのではないかと思った。うまく言えない。そしてこれは決してファシズムの概念がどうであるかとか、そういう社会的な問題を取り上げている訳ではない(…と思う)。読み進めるうちに能力を使う主人公に、小説内で描かれていたファシストと同じ印象を受けたのだ。同じように、不愉快にさえ思った。

この本を読んだ後自分のノートに書いた覚え書きに
『MOTHER3と魔王
ポーキーにはポーキーの
ファシストにはファシストの』
とメモしてあった。

それぞれの思惑があって、信念がある。対極に位置する者同士は、お互い相手に恐怖を感じるのだと思う。どうにか、自分の信念を貫こうとする上で、邪魔にさえ思う。最初は自分の方へ呼び寄せるべくあれこれ画策をする。しかし両者は自分たちの信念を曲げる事は無い。偏った言い方をすると、自分たちの信念が一番正しいからであり、ニュートラルな言い方をすると、正しい正しくないという所を越えて人間は自分が一番信じたいものを信じるから、であると思う。お互いの立場を認めた上で、対極に位置したまま共存する道もある。これって今の先進国なのかな。話し合いを重ね妥協点を作り、少しずつ少しずつお互いが溶け合って行く。これができない場合、最後に残されているのは、排除。様々な方法で戦い、力で相手をねじ伏せる。

両者とも理論的に正当な事を言っている場合、いったいどちらが正しいかなんて、どうやって判断できるんだろう。そこを考えさせられた小説だった。

あと、ここに出てくる兄弟関係がとても良いなぁと思った。

人格転移の殺人

人格転移の殺人 (講談社文庫)

人格転移の殺人 (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
突然の大地震で、ファーストフード店にいた6人が逃げ込んだ先は、人格を入れ替える実験施設だった。法則に沿って6人の人格が入れ替わり、脱出不能の隔絶された空間で連続殺人事件が起こる。犯人は誰の人格で、凶行の目的は何なのか?人格と論理が輪舞する奇想天外西沢マジック。寝不足覚悟の面白さ。

今まで読んだ西澤氏の小説を思い返すと、ストーリより先に設定ありきな小説だったなと思う。ただし、小手先のトリックを使うために無理矢理外付けをしている感じではないので、気にならずに読める。その大掛かりな(ありきたりともいえる)設定が、物語の中心となっているのだ。それが文句なしに面白い。ありきたりともいえる設定を西澤流に持って行くところが、うまいなぁと思う。

私が高校生の頃、脳みそを入れ替える話というのを自分の日記に書いた事があった。話といっても、「脳みそを入れ替える」っていう設定を思いついて、それこそ後付け程度に物語りを作ったかんじだったけど‥。それで、ふと自分で書いていて思ったのだが、脳みそを入れ替えるということは、つまり体を入れ替える事と同じじゃないか。脳みそを入れ替えるって、設定がだめだなぁという結論だった。だから、人格が入れ替わるこの話を読んで、うまいなぁと思った。人格転移の仕組みだの細かい話も一応はなされている。本当に細かい事を考えてしまわない限り、納得ができないこともないし、つじつまが合わないようなことがないように、その辺は作られている。そして何より、これらの設定はただの舞台装置みたいなもので、この舞台装置を最大限に活かした物語がやっぱりすばらしいと思う。

読んでいる途中で、頭の中が人格転移を追いかける事を投げ出したくなる瞬間もあった(笑)このややこしさに真実が隠されていると思いきや‥、は〜、そっかぁ、そこだったんだぁとすっきりびっくりしたりもする。まるで翻訳小説のように英語で仕掛けられたトリックも印象に残った。

椛田ちひろ展

椛田ちひろ展
16日に遊びに行きました。いっぱい話ができて嬉しかったよ。

その後江戸東京博物館へ行き、帰宅途中六本木で一風堂ハードロックカフェでホームメイドナチョス&ぎりぎりハッピーアワーだったので一杯飲んで、地元でカラオケして帰りました。